目次
サルノマドのご紹介
ブログタイトルへ込めた想い
本名である“猿渡(サル) + ノマド(放牧民)”をかけたブログタイトルには、こんな想いを込めています。
うつ病になり部屋に閉じこもっていた日々を変えたい。
窓を開けた時に太陽の光と風が吹き込んでくる様な清々しい気持ちで“自分らしく毎日を過ごせる環境を作りたい”という想いから「サルノマド=猿の窓」としました。
主な記事は以下の通り
- デザインやマーケティング
- うつ病を発症してからの奮闘記
- インテリアやカメラ、珈琲に猫など多岐に渡る趣味
“自分のためにが誰かのために”と自分自身の成長は勿論、このブログに訪れた人へ小さな希望を贈ることができる記事を書くことを心がけています。
是非ご購読お願いします。
簡単な経歴
- 名前 サワタリタツヤ
- 生年月日 1988年
- 出身地 長崎県長崎市
- 出身学校 芸術大学(建築)→専門学校(グラフィック)
- 卒業後 デザイン事務所を数社経験の後イベント企画会社へ
- 現在 大阪でデザイナー&マーケッター(現在:退職中)
- 趣味 カメラ、珈琲、インテリア、猫、読書、音楽など
サワタリタツヤについて【長崎編】
平凡な家庭に生まれた男の子
長崎県長崎市、1988年生まれ。両親と僕、妹の4人家族に長男として産まれた極々平凡な男の子。
幼稚園の頃は車のオモチャにまたがりアイルトン・セナばりにサーキット(家の中)を自在に走り回り、ドリフトしながらコーナーをアウト・イン・アウトで最短で駆け抜けていた。
そんな反面、紙とペンがあれば時間を忘れるぐらい絵を書くことに没頭。
新聞のチラシの裏紙に思いのままに線をひいて色を塗り重ねては、親に見せては「上手だねー!」と言いながら満面の笑みで喜ぶ親の姿を見て僕は満足していた。
この時の自分が作ったものを“誰かが喜んでくれる楽しさを知った”からこそ僕はデザイナーになったんだと今でも思う。
活発極まりない小学生時代
小学生に上がっても活発さは120%の僕は小学校2年生からサッカーと空手を始めた。
小学校▷放課後はサッカー▷夜には空手と1日中活動して電池が切れた様に眠る毎日。
空手の県大会の決勝戦で敗れ、僕は生まれて初めて親や友達に隠れて悔し涙を流した…
近所にあるからという理由で何となく始めた空手も継続している内に本気で努力を重ねていると、こんなに悔しいものなんだと実感。
両親の別居で非行まっしぐらの中学・高校時代
部活でキラキラした汗と悔し涙を流していた小学校時代とはうって変わって、田舎の学校ということもあり中学生になると世間でいうヤンキーや不良というヤンチャな部類に…「大人クソ食らえ!何にも縛られたくない!」という大きな勘違いを反抗期に託つけて楽しんでいた。
中学2年生の時に両親の別居をキッカケにカルカン以上に非行まっしぐら。
家には帰らず友達の家で過ごし、深夜まで遊び回る生活が続くと、当然ながら学校へは行かない日も増えていった。
朝帰って寝るという生活が続く僕に「学校へ行きなさい!」と泣きながら起してくれていた母親には今も頭が上がらない。
高校生も終盤に差し掛かる頃、母親に迷惑と心配をかけ続けていた自分が恥ずかしく情けなくなり「このままじゃ駄目だ!」と、目が覚めた僕は大学受験を決意!
忘れかかけていた幼少期の絵が大好きな気持ちと、父親が客船の室内設計をしている姿を幼い頃から見ていた影響で「デザインの仕事をしたい!」と思い、地元を離れて大阪の建築学科がある大学へ進学。
新天地・大阪での生活【大阪編】
地元を離れ大学へ
18年間、慣れ親しんだ地元を離れることへの大きな不安があったが、大阪での新しい生活は初めての一人暮らしに新しい友達、大学での勉強は全てが新鮮で生まれて始めて環境によってモチベーションは上がるんだと実感した。
授業が進むにつれ要求される制作物のクオリティーも上がっていき、普段の授業やバイト・徹夜続きの課題制作と目が回るような忙しさだったが、自分が胸を張って好きなことだと言えることに妥協はしたくないという想いで必死に食らいついていった。
専門学校でグラフィックデザインとの出会い
大学を経て更に勉強したいという気持ちが強くなり専門学校への進学を決意。そこで現在の職業でもあるグラフィックデザインと出会い今の自分がある。
建築はあらゆる図面にCGや模型と制作物が多くクライアントに向けてデザインすることが一般的なのに対し、グラフィックデザインはシンプルな表現でクライアントの想いを多くの人に発信できる可能性にワクワクした。
だが、「今まで勉強していた建築を捨てて今からグラフィックデザインをして良いのか?」と悩んだが「自分がしたいことを優先しよう!」と自分を奮い立たせてグラフィックデザインのスキルを磨くことに没頭。
今となっては建築で培った考え方や表現はグラフィックデザインにも大いに活きている。
この時の決断は僕の人生の中でも大きな舵取りとなり”やってみなければ分からない、本気で取り組めば何でもできる”という貴重な経験だ。
24歳・新社会人デビュー【大阪編その2】
理想と現実とのギャップを思い知る
グラフィックデザイナーとして就職した僕は、良いデザインを制作して世に広めたい・認められたいという熱い気持ちで社会の荒波へダイブ!
しかし現実は甘くなかった…(笑)
小さなデザイン事務所ということもあり求めている仕事のクオリティーの違いや同僚の仕事に対するモ意識の温度差に戸惑った。
デザイン事務所を何社か転職し、連日の徹夜作業や休日出勤が当然の様な職場もあった。
体力的に限界の状態でクライアントさんの想いを伝えるデザインができる余裕がある訳もなく、夢の為とは言え目の下にクマを作り死んだような顔でPCにかじりつく姿が当然の労働環境に疑問を持ち始めた。
そこから自由度が高いデザイン事務所に転職し、本業の傍ら個人でデザインの仕事をするようになる。
自分がクライアントさんと顔を合わせて“こうしたい、ああしたい”という想いを聞き、デザインという手段で人へメッセージを届ける一連の流れが自分には快感だった。
仕事の規模に関わらず誰かと共に創り上げたものを発信しているという実感できる仕事の経験がフリーランスとして働きたいと思ったキッカケとなった。
デザイン+マーケティングという新しいステージ【現在】
時代を生き抜くための手段
今まで当然の様にデザインしてきた中で「自分のデザインが、どれだけ効果を出せているのか?」と気になる様になった。
グラフィックデザインは手に取ったり街中で頻繁に見るなど身近な良さがある反面、インターネットに比べるといかに反響や効果を上げたかという結果を見出しにくいもの。
スマートフォンが復旧した今の時代、僕達の生活にwebやアプリといったオンライン要素は無くてはならないものとなっている。
今後もインターネットを利用した生活を豊かにするサービスの成長は加速するだろう。
だからこそ!これまで自分がしていたデザイン + マーケティングの知識を付けて更に人へ発信する力を強めることが、移り変わりの早い時代を生き抜く為の方法になる!と思った僕は、次のステップへ自分を成長させたいという思いにかられ、イベント企画会社へ転職を決意した。
2017年6月、うつ病になる
うつ病・世界が真っ暗に…
あれだけ決意を固めたはずなのに頑張れば頑張るほど、体調が悪くなっていく…
寝付くまでに何時間もかかったり、会社へ行こうとすると足が動かない、降りるはずの駅で降りれず何駅か見送り戻る…といった普通ではあり得ない、違和感のある変化が徐々に起きはじめた。
心身共に限界になった僕は、心療内科で「軽度の解離性障害」そして「うつ状態」という診断結果から3ヶ月の休職期間を医師から告げられた。
うつ病になった当初、僕は“生きる価値が無くなった駄目な烙印を押された人間”と思えてならず溢れる涙が止まらなかった。
それでも2ヶ月、3ヶ月と時間が経つにつれ「何かしてみような…」と少しだけ心に余裕ができてきて、生まれた始めて自分が何をしたいかをじっくりじっくり時間をかけて考えた...
自分らしく生きるための方法【これから】
自分の為にが、誰かの為に
不安で不安でどうしようも無い時…うつ病に関することを検索すると“うつ病経験者のブログが当時の心境や克服までの経緯をさらけ出して書いていた記事”を見て僕は大きな勇気をもらった。
それから少し体調が良くなるにつれて、自分にも何かできるんじゃないかという希望がわき、自分が励まされたようにブログを通じて同じ境遇の人へ希望を贈りたいと思った。
僕はサルノマドを通じて“自分らしく豊かな生活を実現するためにをモットーに、自分の意見や経験を発信することで、うつ病から克服し更に成長したいと思った。
それが回り回ってサルノマドを見てくれた誰かの役にたったり小さな希望を贈りたいと心の底の底から思い記事を更新している。